mikeigoのブログ

世界の関係性を総体として捉える。解像度高く、クリアーな思考を目指して、備忘録。

平成の日本没落を、要素分解して考える。

要点

  1. 旧態依然とした40年体制バブル経済
  2. 金融・国への依存体質=製造業の農業化
  3. 産業転換(製造業中心からの脱却)ができてない

 

1.金融体制転換の遅れ

 平成は、1940年代から続く40年体制を変革すべき時代であった。

40年体制・・第二次大戦中の統制経済的体制。「金融」(都市銀行長期信用銀行)と「官僚」(大蔵省)を中心に経済をコントロールする。

  • 高度経済成長期には機能←設備投資の資金需要
  • 80年第中頃に需要縮小→安易に不動産投資↑→地価↑=バブル経済

 戦後の経済システムが旧態依然として存在し、バブル崩壊と処理の失敗を生んだ。本来ならば、平成の間に金融機関が欧米の投資銀行のような役割へ転換するなど、新たな金融体制への変革が必要だった。

メモ;金子氏は、米国主導の金融自由化が日本の金融セーフティネットを破壊し、日本をバブル経済の波に飲み込んだと解釈。野口氏は旧体制を続けたためにバブルとその遺産が生まれたと考察。新自由主義英米経済を復古させたのは事実だが、日本に対する影響の捉え方に差がある。いずれにせよ、旧体制と時代のミスマッチが金融の空回りを生んだようだ。

 

 

2.金融&国への依存

 産業転換すべき局面で、日本経済は金融&公的補助のテコ入れに依存。

バブル崩壊=40年体制の限界

・世界の変化=「中国の工業化」+「製造業→IT産業への産業転換」

→産業構造の転換に対応するべき。

 しかし、「金融システムへの依存」(99年のゼロ金利政策・現在の異次元の金融緩和)や「国・官僚への依存」(08年後のエコカー減税雇用調整助成金の要件緩和)など、本質的変化を直視せずに国に依存した体質が醸成。まるで高度経済成長期に成長から取り残された農業のように、国の保護を受ける存在になった。

メモ;日系大企業に対して抱く、無駄が多くで変化にとろい体質は、国と金融への依存が大きいことが要因かもしれない。なんとなく、保護されてぬるま湯に浸かったような総体を感じる。その点、外資外資たるからこそ「日本」に依存していない。これは、組織体質として決定的な違いだと思った。

 

3.製造業中心からの脱却不足、

産業構造の転換→経済牽引企業の変化

ex. GMGAFA

→全く新しいサービスで成長

日本は、伝統的な製造業中心から脱却しないと衰退の一途。

メモ;本当に日本のIT企業は何もできていないか、具体的事例で比較しないと。あと、米国だけが ITで先陣を切った要因は何?日本との違いは?製造業の保護がない=資金が IT産業に流入しやすい??スパコン開発の差?タニマチの存在?(by金子氏)学生起業の文化・ITのメッカ(シリコンバレー)が人・技術・金を呼ぶ?(by Natalie,Luke)

 

まとめ

 戦後の経済統制的体制を引きずり、バブル崩壊後も金融体制の転換に失敗。それどころか、弱体化した製造業を中心に金融・国の保護を受ける「依存体質」が醸成された。これこそが、変化に鈍くいつまでも金融と産業転換の歯車を空回りさせる日本社会の本質的課題なのだろう。

 

PS

構造転換に乗り遅れた。結果から見ればそうだろうが、当時の社会がわかっていなかったわけではないと思う。変化する気持ちはあっただろう。具体的に何が足枷で、何が米国と異なるのか。デッドロックの常態に、地に足ついた考察が必要そうだ。

その意味では、金子氏の「資本主義の克服」は制度の束という視点から、雇用形態や社会保障、金融制度など個別具体的な考察が多く含まれていた。 

 

メモ

2018/10/29

週刊ダイヤモンド、#32平成経済全史、p32、野口悠紀雄、「平成は「40年体制」を引きずり日本没落を決定づけた時代だった」